東海豆味噌の歴史
東海豆味噌は、八丁味噌、三河味噌、三州味噌、名古屋味噌、赤だしとも呼ばれる豆味噌で、中世以前から自家醸造が行われていたと言われています。
730年(天平2年)には、尾張国で豆味噌が朝廷に納められ、739年(天平11年)になると、平城京で豆味噌が販売されていました。
1590年(天正18年)、徳川家康の江戸城入場に伴い、三河地方から多くの人たちが移り住むと、愛知から江戸へ味噌が送られるようになり、豆味噌が全国に知られることになります。ちなみに、愛知の豆味噌が江戸へ初出荷されたのは1781年(天明元年)のことです。
1610年(慶長15年)に名古屋城築城が始まると、需要が拡大して豆味噌づくりが大きく発展しました。
1688年(元禄元年)には、知多郡で初めての豆味噌醸造所が開業し、一大醸造郷へと発展していきます。
1868年(明治元年)には、味噌づくりへの参入が自由化され、名古屋市、知多郡地方でも味噌の製造が拡大していきました。
東海豆味噌の特徴
産地 | 愛知県、岐阜県、三重県 |
分類 | 豆味噌 |
原料 | 豆麹・大豆 |
色 | 赤褐色 |
味 | 濃厚なコクと少しの酸味、渋味、苦味の独特な風味がある。長く寝かせるので色が濃く固いので、塩辛いイメージがある。本当は塩分控えめ。 |
その他
八丁味噌は本来ならば、愛知県岡崎市八帖町(かつての八丁村)で生産されているものを指します。八丁味噌は商標名ではなく、普通名称ではあるものの、八帖町の2社(まるや八丁味噌・合資会社八丁味噌)の味噌蔵に配慮して、2社の豆味噌以外を八丁味噌と呼ばないことが慣習となっていました。
しかし、農林水産省が定める、地理的表示(GI)保護制度において、上記2社は八丁味噌ブランドから外されており、元祖の老舗が「八丁味噌」を名乗れない状況となっているのは、遺憾だとしか言いようがありません。
※地理的表示(GI)保護制度とは
2014年6月に制定され、2015年6月から運用を開始。
名前に産地名などを含んだ農産品や農産加工品で、その地域で育まれた伝統的な生産方法や、気候・風土・土壌などの生産地等の特性が品質の特性に結びついている特産品を、国が地域ブランドとして登録することにより、生産者の利益と消費者の信頼の増資を図るための制度です。
神戸ビーフ、夕張メロン、岩手木炭など、50種類以上の特産品が登録されています。