府中味噌の歴史
広島県北部にあたる神石郡・比婆郡などでは白芽大豆、神谷川・芦田川流域では金丸米、深津郡では食塩と、味噌の材料が手に入りやすく、瀬戸内の温暖な気候が味噌の醸造に適していたため、白味噌が備後府中一帯で製造されるようになったと考えられています。
1616年(元和2年)になると、零細な家内製造だった味噌を、府中の豪商・木綿屋の当主・大戸久三郎が商品として最初に販売ルートに乗せたと言われています。
府中は山陽道から出雲道へ通じる重要な場所でした。そのため、諸国人の間で府中の白味噌が美味しいと広まると、お土産で持ち帰ったり、地場産業の業者が取引先への贈り物として用いるようになりました。
「府中に味噌あり」と、全国的に知られるようになったのは、大戸久三郎が福山藩主水野公に味噌を献上したのがきっかけです。府中白味噌の絶妙な味を褒めたたえた水野公は、参勤交代の通り道である山陽道、東海道の諸藩大名に白味噌を贈呈しました。その結果、大名たちの口コミにより全国に販路を拡大していったのです。
府中味噌の特徴
産地 | 広島県 |
分類 | 米味噌 |
原料 | 米麹・大豆 |
色 | 白色 |
味 | 良質の米と皮をむいた大豆を使っているので、きめが細かく透き通るような白色をしている。塩分が少なく甘口。まろやかで風味豊かな上品な味。 |