全国の郷土味噌金山寺みそ

【全国の味噌】金山寺味噌の歴史と特徴

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金山寺味噌の歴史

最も有力な説は、1254年(建長6年)、鎌倉時代の僧・法燈国師(ほっとうこくし)が宋での修行を終えて日本に帰国した際、「径山寺(きんざんじ)」味噌を持ち帰ってその作り方を伝えたという説です。

法燈国師は帰国後、和歌山県由良町で興国寺(こうこくじ)を開山したので、その近くの湯浅町やその他の地域に伝えられ、それ以来親しまれてきたと言われています。

その他にも、空海が遣唐使として唐の「金山寺」から持ち帰り、高野山創設後、大勢の修行僧を養う「僧坊食」として用い、その後、修行僧が各地に広めたとする説もあります。

江戸に金山寺味噌が広まったのは、紀州出身の8代将軍・徳川吉宗が、幕府に献上させたからだと考えられています。

金山寺味噌の特徴

産地 和歌山県、静岡県、千葉県
分類 なめ味噌(おかず味噌)
原料 米麹・麦麹・豆麹・野菜
紀州金山寺味噌は白瓜(または真桑瓜)、茄子、生姜、紫蘇が使われるが、他の地域ではその他の野菜が使われることもある。味も甘口、辛口、さっぱり、うす塩など、味わいも多種多少である。

その他

紀州の金山寺味噌は水分が多かったと言われおり、製造の際に樽底に沈殿した液汁をすくい取って舐めてみたところ、とても美味しかったので、調味料として使われるようになりました。

この製法が発達して作られた「たまりしょうゆ」のようなものが、醤油の起源であると言われています。